メンバー
うちだ 潤一郎
J-STAGEWORKS 代表 主宰
俳優 演出 舞台美術 脚本 舞台監督 プロダクションマネージャー
劇団民藝 所属俳優
<Profile>
7月14日生まれ
北海道稚内にルーツをを持つ。
自称、東京生まれ。いや本当に渋谷の赤十字病院にて誕生したと聞いているが・・・・
血液型は
B型。
中学生時代に野球を始め、高校野球に打ち込み、
「
さあ、いよいよ野球で飯が食えればいいな」と夢見たが、色々挫折。
その後、自由が丘、六本木を彷徨い、そのうちに出張「マスク・アクター」として関東を行脚。
「ショッカー」戦闘員でデヴュー。
そのうち楽しくなり、怪人を着て司会進行を担う。
当時は、有線マイクを怪人の口にツッコミ、アナウンス。
効果音をラジカセから流し、マイクを口から引っ張り出しスピーカに向けて拡声
。
その合間に、またナレーション、そして、悪の声、はたまたヒーローの声も同時進行で。
舞台に登場しても、マイクを駆使して、怪人の声とヒーローの声を出し、
時には(少し予算のある場合は火薬を仕込んだりしているので、その)触火線の操作も)やり、
舞台に迫力を出したり。この装置、垂木に釘を数本打って、バッテリーの+極を繋ぐ。
−極は、短いグリップ棒に矢張り釘。そこに繋ぎ、いいタイミングでショートさせると
火薬が「パン!」となる仕組み。<しかし、素人はマネしないように!!
>
当時は、三人体制のチームで地方のスーパーに出向いていたが、
ショー前日にワゴン車を運転し、円谷プロやら東映やらを回り、
ウルトラマン、仮面ライダー、サンバルカン、ゴレンジャー、
怪人、怪獣などを車に放り込み、翌朝、新宿西口にメンバーを迎えに行き、現地へ。
スーパーの担当者と打ち合わせをし、ショーの段取りを決め、稽古をしてから2ステージを。
サイン会をして、集金をして、またワゴン車に乗り込み帰京。
翌日、かぶり物を返却に回り、車を会社に戻し、精算して終わり。
それを毎週繰り返していました。
「そんな人生でいいのか」と思い始め、「スポーツクラブのインストラクターになろう」と
体育の専門学校で学び、資格と就職先を多数ゲット。
いよいよ・・・・と思ったら、
「そんな人生でいいのか」とまた思い始め、文学座演劇研究所(第24期昼間部)を受験。
あらら・・・・受かってしまったので、そこで1年間、芝居に初めて打ち込みました。
そして、また、放浪へ。
今度は、あの三船敏郎さんの元へ。
しかし、色々ありイヤになって仲間と逃げるように退所。
「御免なさい」と、今更ですが申し上げます。
それから、1986年に劇団民藝に入りました。
<特技>
もうずっと野球もやっていないから、特技とは言えないし、教えるのはうまいかも。
その昔、自分の子供たちにも野球を教えていました。まあ、どの父親もそうですよね。
芝居がないときは、レストラン調理場で働いていました。
六本木のお洒落なカフェ・レストランからイタリアンレストラン、市場のレストラン、喫茶店の調理場・・・・
色々な調理場で働きましたね。
だから、料理は適当にうまいと思います。言うならば、特技かな。
<趣味>
今風に言うなら、アウトドア全般。
念願だったモーターホーム(1998年製の古ーいカナダ製のキャンピングカー)を中古で手に入れて以来
自分で修理することが
趣味。
後は、
ギターをつま弾き、急に掃除を始め、Macと向かい合い、
それに疲れるとプランターのガーデニング、ハーブをいじくり匂いを嗅ぎ
スクワットを100回すると、腕立て伏せをして、犬の散歩。
広く浅く、何でもするのが玉に瑕。
さらに細かくあれこれと書いています
うちだ 潤一郎のホームページ:「うちだ 潤一郎の仕事」
あまり得意ではありませんが・・・・
Facebook Instagram Twitter